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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年09月07日

青山繁晴さん

土曜日に、青年会議所のフォーラムへ貝塚まで行ってきました。
メインフォーラムは講師が青山繁晴さんで、テレビじゃ言えないようなことも色々話して下さいました。

その中で一つ。『硫黄島』について、映画『硫黄島からの手紙』をご覧になった方も多いと思います。太平洋戦争のとき、フィリピンと東京のほぼ中間にある硫黄島は、激戦の末アメリカ軍に占領され、そこを起点に沖縄へ攻撃を開始したと言われております。
硫黄島では2万人以上の方が戦死され、いまだに1万人以上の方の遺骨が残ったままだそうです。 日本返還後も今も許可を得た人以外は立ち入り禁止になってて、青山さんも許可を得ようと色々動いて、やっと許可を取り、硫黄島へ行かれたそうです。

硫黄島から戻ってきた方の取材もされ、島での光景を聞いて行ったが、昔の変わらず、戦争の爪痕が残っていたとのことです。

例えばドラム缶。水が少なく、洞穴の天井から降る水も溜めたそうです。洞穴はアメリカ軍が攻めてくるのに少しでも抵抗するために奥に堀り続けられたそうです。そうすることにより日本本土への攻撃を1日でも遅らせようとしてのことだそうです。

日本という国がそういった先祖の方々によって守られていたと思うと胸に期するものがあります。
学校では習わない歴史の奥の深さを感じます。
  


Posted by 泉田 裕史 at 13:18Comments(0)